自動車工場体験記

「物づくり」という言葉がある。

日本には物づくりの伝統がある。ものづくりの大切さ、精神を忘れてはいけない。父親や先輩からそう教え込まれてきた。

日本は天然資源がないから、原料を外国から輸入し、それを加工し、品質の良い商品を作り外国に輸出し、外貨を稼ぐしか生き延びて行く方法は無いのだ。子供の心にもそれは真実として実感された。

物を作るとはどういうことか?
天然自然の材料に人間が手を加え、熱や、圧力や、化学反応を加えて、製品に加工すること。これは非常にわかりやすい定義だ。

工場という場所が、その「物を作る」という仕事をやっているところだと思っていた。だが実際に、そこで5年ほど働いてみて、工場の全部が加工をやってるわけではないと知った。

大抵はサプライヤーとか下請けとか呼ばれている部品メーカーで造られたものを工場に集め、それを溶接したり、ボルト・ナットで組み合わせる作業をやって製品にしている。

ただ一か所、「物を作る」ショップがある。それがプレス・ショップだ。

プレス工場ではコイルに巻かれた帯状のスチールを、長方形や台形のプレートに裁断し、それを4000トンもの圧力を加えてボデーの様々な部位のパネルに加工する。

ここだけが唯一、材料に力を加えて変形させ、ボデーを構成する各パーツを作っている。

材料の性質、型の状態、プレス機械の運転条件、複雑なパラメーターが複合して作用して、設計通りの製品が出来るまでには、不具合と闘わねばならない。

プレス加工の常習犯、どうしても払拭できない敵は「ブツ」と呼ばれる
ミクロン単位のほこりや髪の毛が4000tの圧力でスチールのプレートの表面に作ってしまうミクロンの突起とその周囲に円くできる浅い変形。

プレスの材料の入り口には、材料をブラシやオイルで洗う洗浄器があるが、オイルにミクロンの切り子が混じっていることもあるし、型の汚れや、機械の構造部の汚れが原因となったり、どんなに対策を講じても決して退治できない、プレス加工と切っても切れない関係にある不具合なのだ。

ドアパネル、ルーフ、ボンネット、フェンダーなどボデーでも一番目立つ美観に最も関係を持つパネルにブツが一面に広がったりした時は目も当てられない。連続して数十枚を捨てなければならない。

ブツは日常的な不具合だが、時には事故が起こることがある。機械の調子が悪いとメンテのメンバーやプロダクションのメンバーがプレスの中に入って調整をする。

この時、忘れ物をして出てくる「うっかり者」が必ずいる。どんなにレーザー光のセンサーで異物を探知しても、複雑な機構の陰になる部分にレンチなどを忘れると探知できない。

それで4000tをドカンと落すと鋳造品の型はひとたまりもなく壊れてしまう。筆者が勤務中に実際にあった。

型保全の人たちが居る。職人気質の人たちで、普通の型のメンテでも5・6時間冷たい鋳造品の4・5メートルもある型の上に座り込んでサンダーと溶接ガンを交代に持って仕事をする。

溶接棒を使いアーク溶接で肉盛りしてはサンダーで削る。これを繰り返して刃こぼれしたり摩耗した刃の部分を日常的にメンテしている人たちだ。

型が4っつも5つもにバラバラに分解大破してしまったこの時ばかりはプレス担当の課長はじめ工場長まで顔が青ざめた。型がなければ部品が出来ない。型は一個づつしかない。

日本から送って貰うにしても最低2週間は掛かる。その間工場は停まってしまう。

窮状を救ったのはベテランのNさんだった。Nさんが2日48時間、不眠不休で溶接し型をどうにか使える状態に復元した。

型保全の人たちは無口だし、目立たない職場で黙々と仕事に打ち込む職人さんの見本みたいな人たちばかりだ。

Nさんが任期を終えて日本に帰る時、管理職を集めて別れの挨拶をした。
その時の通訳を筆者がしたが、その時ばかりは工場長も感謝の言葉を送った。 N さんは3年間重ねた苦労の思い出がどっとこみあげてきたのか感極まって泣いてしまった。

3年のあいだに N さんはどれだけ徹夜をしたか数えきれないだろう。こうした N さんのような縁の下の力持ちのお陰で外国で日本デザインの車がこれからも造られてゆくだろう。